どれだけ気に入っているかといえば、これまで使い慣れたATOKを使うのを止める程です。
ATOKには、英語をカタカナで入力すれば、変換してくれる機能や少々のローマ字入力ミス程度であれば、修正してくれるところなど良いところはあるのですが、これらは便利機能で本質ではないことに気づかされました。
日本語入力がある程度変換の癖を学習してくると、ほとんどライブ変換に任せたままで入力できます。こうなるまで、ある程度の時間が必要ですが、私の場合は、三日ほど使っていれば思ったイメージで変換してくれるようになりました。ライブ変換に任せられるようになれば、これまでに日本語入力から変換という操作が不必要になるので、時間あたりタイプできる量が増えるように感じています。
データを取ったわけではないので実感値でしかありませんが、変換という操作がなくなった分だけ他のことに脳味噌を使えます。たとえば、これまで書いている文節しか注意を払わなかったのが、前の文節までに気が回るようになりました。って書けば、眉唾な話ですが、私の場合は書き上げる時間が短くなったので、前後の文章を気にする余裕ができました。
コンピュータの進化って、本来はこういったところだったはずだよなぁと考えるキッカケをくれた仕組みです。
ってべた褒めなワケではなく…
ってここまでは、べた褒めなんですが、使い込んでいくと私が対応出来ないことが分かりました。
ライブ変換を使い始めた頃は文章を細かく入力していくのではなく、長めに短くてもフレーズ単位で入力していたのですが、長年の癖でついつい単語単位で入力してしまいます。こうなると、変換効率がイマイチで気持ちよく使えません。
先にも書いたように、意識して長めに文章を入力していけば良いのですが、意識することが思考の邪魔になるようでストレスに感じることがあります。これまで意識してなかったことなので、余計に負担に感じるようです。
ライブ変換を上手く使えば、時間当たりの日本語タイプ量を増やすことができるよい仕組みだと思っていますが、最後は人が問題になりました。
しばらくATOKに戻って、また、ライブ変換を試してみたいと考えています。
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